東日本大震災被災地応援プロジェクト!
(C)一般財団法人 ダイバーシティ研究所
 
ダイバーシティに配慮した避難所・まちづくり・復興計画を
 

トップページ |  開設主旨 |  プロジェクト紹介 | 企業による復興支援  |  お問い合わせ(ダイバーシティ研究所)


過去の震災の教訓
応急仮設住宅  
   
NPOのコミュニティ支援  
   
まちづくり  
   
商業復興

NPOによる仮設コミュニティ支援 (阪神・淡路大震災より)

「東灘・地域助け合いネットワーク」語り・中村順子
(現・NPO法人コミュニティサポートセンター神戸 代表理事)【後編】

■仮設住宅支援活動期(1995年8月〜11月)
他の支援者・支援組織・行政の信頼を得る

7〜8月に多くの仮設団地でふれあいセンターが続々開所。「東灘・地域助け合いネットワーク」(以下、「ネットワーク」)は兵庫県からの依頼を受けて、東灘区におけるふれあいセンター運営の受け皿になり、運営支援を引き受けました。地域住民や他のボランティア団体からは、なぜ特定の一団体が、という反発もあり、住民組織や他団体とのかかわり方が課題となりました。「ネットワーク」は3月から社会福祉協議会の主催する「ボランティア連絡会」に参加したり、地元のボランティアを増やすように努めることで、地域の信頼を得てきました。

この頃は、仮設住宅での独居高齢者の「孤独死」がメディアに大きく取り上げられた時期でもありました。自治会活動やふれあいセンターの運営に積極的に動き出す入居者もいる一方で、家や肉親を亡くした人の中には、まだ新しいことを始める気力のない入居者も多かったといいます。入居者の様々な感情の前に「時期を待つ」こともまた重要でした。

「自治会」と「ふれあいセンター」の機能分化

多くの仮設団地で自治会ができたのは9月〜11月頃でした。ふれあいセンターの設置は7月頃から翌年2月にかけて順次行われました。自治会や運営委員会の設立支援にあたっては、「ネットワーク」の方針では、自治会役員とふれあいセンター運営委員のメンバーの重複はできる限り避けました。権限を分散させることは、風通しのよいコミュニティづくりに重要でしたし、主要メンバーの疲弊を軽減しました。 「『自治会』の主要な目的はゴミだしのマナーや、騒音問題、集会場利用のルールなど、住民同士のトラブルを解決するために話し合うこと。解決していかなければならない問題が山積だったため、嫌でも徐々に出来てきました。」(中村順子さん・談)一方で、「ふれあいセンター」は仮設住宅の外(地域・ボランティア)と中(入居者)とをつなぐ窓口であり、やりたい人から少人数でも次々に新しい活動を始めることができる場所。機能の違いを明確にしました。

自治会だけが地域コミュニティというわけではなく、自治会は縦糸(棟ごとの物理的つながり)、ふれあいセンターから生まれる活動は横糸(興味・関心事の趣味的なつながり)として、糸をたくさん通すことに励みました。「ネットワーク」では、自治会の運営支援は行わず、一方で、ふれあいセンターの運営にはプログラムの提案や世話役等、個別の仮設住宅団地ごとの支援の他、東灘区の全ふれあいセンター(13か所)のネットワークの事務局的な機能を果たしました。また、定期的な運営支援者会議で東灘区内の仮設住宅団地の情報が交換されました。

同じ地域の支援団体で横につながる

避難所が解消されてゆくと、他のボランティア団体も活動の中心を仮設住宅支援へと移し始め、仮設住宅団地におけるボランティア活動のバッティング、入居者に対する「ヒアリング公害」が課題になりました。特に、六甲アイランドの第五団地ではいくつもの団体の活動が重なるようになり、そこで、「ネットワーク」は社会福祉協議会に調整を依頼し、ボランティア団体会議を開催。安否確認・見守り活動は社会福祉協議会に登録するボランティアによるグループが行い、高齢者・障害者などの特別なケアが必要な入居者の支援は元看護婦ら専門職によるボランティア団体が担当。家事などの生活支援を「ネットワーク」が担うという役割分担が行われました。

■仮設住宅活動から地域づくりへ(1995年12月〜1996年1月)
地域に「ふれあいサロン」を展開

震災から1年を迎えるころには、仮設住宅団地のふれあいセンターでの活動は非常に活発になりました。ネットワークでは、仮設住宅団地の中の活動経験を活かして、地域にコミュニティづくりを広げるサロン活動を開始しました。地元医師会の協力を得て、17の小学校区に渡り、21か所の医療機関の待合室で「ふれあいサロン」を開催しています。診療時間外(主に午後1時30分〜午後3時30分)に待合室等を利用し、10分程度の講話をプログラムとして提供。地域の民生委員、医療・保健・福祉の専門家の連携とボランティアによって運営されたコミュニティ・サロンでした。15年が経過する現在でも継続して待合室で活動しているふれあいサロンがある程、地域住民から好評でした。反省点としては、仮設住宅入居者のための活動と地域のふれあいサロンの接点は、共通して運営に関わるボランティアを除くと、あまり見られなかったことだと振り返ります。

同年10月に中村順子さんは「コミュニティ・サポートセンター神戸」を立ち上げ、地域での「しごとづくり」を主目的とする活動のため、「東灘・助け合いネットワーク」から発展的に独立していきます。

(完)


(印刷用)