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阪神・淡路大震災(1995.1.17)の応急仮設住宅

阪神・淡路大震災での応急仮設住宅と課題

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災では、発災直後から応急仮設住宅の発注が検討され、その後の約7か月間で兵庫県・大阪府に4万9681戸が設置されました。全国の公営住宅等への一時入居は約1万2000戸、企業社宅・保養所の借り上げや、民間賃貸住宅、ホームステイなどの利用は合わせて数百戸であったことから、阪神・淡路大震災の被災者への主要な住宅対策は仮設住宅でした。

表1)応急仮設住宅の設置戸数

(内、兵庫県民対象:48,300戸、大阪府民対象:1,381戸)

<入居者の偏り>
入居者の選定は、公平性・透明性を原則に公募・抽選で行われましたが、高齢者・障害者・母子世帯には優先的に割り当てられたため、結果的に、初期に建てられた仮設住宅団地ほど、高齢者の割合が高く、ケアの必要な人が集中したことが課題となりました。

<不便な立地条件>
中心市街地に近い仮設住宅では倍率が数百倍となる一方で、「遠くて不便」な郊外の仮設住宅には空き住戸も多く発生。避難所の早期解消という目的のため、被災市街地から離れた郊外にも大量の仮設住宅の供給が急がれましたが、被災者のニーズとの間にはかい離がありました。95年8月には計画された全ての戸数が完成しましたが、その後も避難所だった学校や「待機所」に指定された場所に残った避難者がおられ、神戸市内では95年12月時点で約100世帯200人が避難生活を続けていました。待機所の最終的な閉鎖は97年3月でした。

<居住環境にソフト・ハード両面の問題>
仮設住宅では、初期の入居が始まってすぐに「住宅案内図がなく、団地内で迷う」「街灯もなく夜の外出がままならない」「雨が降るとぬかるんで歩けない」など、居住環境の様々な問題点が指摘されました。当時、仮設住宅の標準仕様でなかった「ひさし」や外灯、エアコン、スロープ等は、入居者からの強い要望を受け、復興基金 を活用して、後から整備されることになりましたが、「引き込こもり」「孤独死」「入居者の心身の健康保持」など、コミュニティの課題もすぐに表面化しました。

自力再建ができる人から退去するコミュニティ

仮設住宅への入居者数は、震災から10か月後の95年11月の4万6617人をピークに徐々に減り始めました。(図1参照)

図1)阪神・淡路大震災における仮設住宅の推移

出典)兵庫県「阪神・淡路大震災の復旧・復興の状況について」(平成22年)

兵庫県住まい復興推進課が1996年2〜3月に全仮設住宅約4万世帯を対象に行った調査によると、世帯主が65歳以上の高齢世帯が42%、主な収入源は「年金・恩給による世帯」が36.9 %と最も多く、世帯総収入で見ると「300万円未満」の世帯が70%を占めていました。この調査結果を受けて、自力での自宅再建や民間住宅の家賃負担が難しい世帯が予想以上に多いことが浮かびあがり、復興公営住宅等の供給計画は大幅に見直されました。復興公営住宅等の供給が本格化するとともに、仮設住宅退去者の数は伸び、最後の仮設住宅の解消は、震災から5年後の2000年1月でした。

<参考資料>
阪神・淡路大震災に関わる応急仮設住宅の記録(2000.8)http://web.pref.hyogo.jp/contents/000037459.pdf
厚生省内閣府阪神・淡路大震災教訓情報資料集(2000.3)http://www.bousai.go.jp/1info/kyoukun/hanshin_awaji/index.html

 


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